定年後毎日のルーティン

伊賀の里/滝仙寺2

【定年後の毎日のルーティン】

ゴルフはアドレス時のルーティンが重要だ

安定したスイングで安定したボールを打つのには

ルーティンを忘れスイングしたボールはミスショットとなる場合が多い

毎日の生活も同じだと思う、ルーティンの確立こそが安定した生活をする鍵となる

ルーティンができていなければミスが多くなる

人は初めての行動時に不安を感じるものだ

初めてのレストラン、初めての登校、初めての出社……

同じ時間に起き、同じルーティンでしたくする、もちろん朝食も、コーヒーに入れるミルクの量も毎朝同じだ、そして同じ時間に出社する

すると何時に会社のディスクに座るのかわかる

たまに電車に遅れが出れば途端に不安になる

 

余談だが

昔、よく行った中国大連の百貨店など店舗によって開店時間が異なる、店舗の都合で臨時休業もしょっちゅうだ、それが当たり前になっている

日本人の几帳面さとは大違いだ

買い物も値切って買うのが当たり前、初めの提示値の半分になることもある

日本の百貨店では値切って買い物をする人はいないし値切っても絶対に安くはならない

しかし考えようではそれぞれの店舗がまたそれぞれの人間で商売のルーティンが違うということだ、あれだけの人数がいても人それぞれルーティンを持っている、個性があるということだ

たぶん人それぞれ自分だけのルーティンを作らなければそしてそれを守らなければ生きていけないということだろう

日本人は違う、個性の欠片もない

日本は個性を出しては、もっと言えば個性を持ってはいけない社会なのだ

会社員は皆同じような服を着て同じような髪形をする

社長がネクタイをしていれば全員がネクタイをして出社する

協調性がすべての国民だ

中国人は違う個性がすべての国民なのだろう

勘違いをしている人も多いだろう、中国は共産主義で一党独裁政治だから、国民も強制された同じ考えのもと言われたとおりに生きていると

だが違う、中国人は皆個性的でそれぞれが自分の思うとおりに生きている

有名になんかなりたくない、ただ金持ちになりたいだけ

中国や韓国では超有名人が叩かれ蹴落とされる文化がある

韓国歴代大統領のほとんどが逮捕され裁判にかけられ有罪になるのと同じだ

 

日本人は違う超有名人になることがすべてだ

オリンピックの聖火リレーのランナーに選出されることがすべてなのだ

 

素晴らしいお墓……

歴史と自然、樹木と見晴らしの永代供養墓です

1区画30万円で墓石込、4寸骨壺8個ご霊体まで納骨可能

家墓としてご家族ご夫婦だけでの入墓可能

その後の年間管理料、檀家料等一切の費用は掛かりません

 

伊賀の里自然墓苑/滝仙寺事務局

TEL0120180806 http://iganosato.com/

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新型コロナ陽性という悪夢に日本はいつまで耐えられるのか―そのサービス、本当に必要ですか

新型コロナ陽性という悪夢に日本はいつまで耐えられるのか―そのサービス、本当に必要ですか

先日私も感染者の一人となり、ホテルで1週間の療養が義務付けられた、まるで悪夢だ。しかしPCR検査費用もホテル療養の滞在費用、その期間の食料代もすべて公的費用から支払われる。私は一円も払っていない。払ったと言えるのは体温計を買ったお金とホテルからの帰りの交通費だけだ。公的負担はそれだけではない。緊急事態宣言発動による休業要請に応じたお店や店舗に支払われる支援金。また企業の持続可給付金、また世帯や個人への緊急小口資金etc……、言い出したら切りがない。それらのコロナ対応での公庫から出るお金すべて税金であり国の借金だ。そのツケを現内閣官僚がそれぞれのポケットマネーで返してくれるわけではない(もちろん返そうと思っても100兆円など持っている人はいない)。しかしコロナ対策費として100兆円を支出したのは内閣だ。そして使ったのは我々国民だ(もちろん100兆円の中には混乱の中で闇に消えたお金も多くある)しかし将来返していかなくてはいけないのも国民だ。

〔政府はコロナ経済対策として1年に3回の補正予算を組み、国費76兆円、財政投融資などを合わせた総事業費300兆円を湯水のようにつぎ込んだ。その結果、今年度の新規国債の発行額は112.6兆円と過去最高に達している。〕

今の世の中、損得を判断基準にして生きている人もいる。貰えるものは貰わなければ損だ。低賃金で必死に働かなくても国がお金を用立ててくれるではないか、そのお金を貰えば医療費も国が支払ってくれる。得だ、受けられるだけ公的サービスは受けなければ損だ。だが考えてみれば昭和の時代には介護保険もなかったのに高齢者は今より幸せに暮らしていた。また55歳になれば年金が貰えて70歳以上になれば医療費も無料だった。消費税も3%だったし、生活保護も今よりずっと受けている人は少なかった。だが子供は元気に学び遊び、若者は青春を謳歌していた時代だ。日本は世界で一番経済力が強く裕福な国だった。だがバブルがはじけ30年日本は停滞をしたまま世界中の国にどんどん抜かれ世界で活力のない国のひとつになってしまった。この停滞は日本の国民に何をもたらしたのか。それは諦めにも似た絶望感と虚脱感だ。貰えるものは貰っておこう。受けられるサービスは受けておこう。それはコロナでホテル療養でのホテルの部屋までの荷物運びでも何でもだ。やろうと思ったら出来るのだけど、せっかくやってくれるというのだからやってもらおう。もちろんそういう人はごく一部だと思うが、困っている人は助けなければいけないが、少し困ったからと言ってなんでも手取り足取り助けるのは、その人の為にもまた日本の為にも少し控えめにしたほうがいいような気がする。

素晴らしいお墓……

歴史と自然、樹木と見晴らしの永代供養墓です

1区画30万円で墓石込、4寸骨壺8個ご霊体まで納骨可能

家墓としてご家族ご夫婦だけでの入墓可能

その後の年間管理料、檀家料等一切の費用は掛かりません

 

伊賀の里自然墓苑/滝仙寺事務局

TEL0120180806 http://iganosato.com/

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仏教

仏教は

無から有を生み、そしてまた無に変わる

 

人生では中年から晩年の輝きが勝負を決める

中年以降、急激に衰えていく輩がいる

晩年を過ぎ失速する輩もいる

また晩年を自ら汚ごす輩もいる

中年以降輝きはじめ晩年で大成する輩もいる

ようするに人生は中年以降で決まる

中年まではあまり輝き過ぎてもいけないのだ

輝き過ぎた光は 晩年を待たず消えてしまう

 

人は皆死ぬ

共に死を分かち合おう

皆ひとりではないのだ

我々がいる

 

 

 

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孤独病的不幸

『55歳を過ぎたら好きなことをやれ』

これは川北義則さんが書いた本だ

 

55歳を過ぎたら会社の仕事も適当にして自分の第二の人生の準備をしろと

まさにその通りだ

55歳を過ぎれば会社での出世も先が見えてくる

親鸞と同じだ

権力者に目をかけてもらいながら

権力に近づかず、自ら権力から身を離し、野に下った

まさに親鸞の生き方だ

 

世の中が便利になればなるほど、不幸になる人が増えている

まさにそれは心の不幸だ

食うに困る不幸ではない

食っていくだけならば生活保護さえもらえば今の日本では食っていけるだろう

医者代、薬代もタダだ

日本でいう不幸は食うに事欠く不幸ではない

満たされない病であり孤独病的不幸、正に心の不幸だ

 

それでは幸福とは?

反対に心の幸福だ

心が充実しているとき、人は健康であり幸福を感じる

 

心が満たされないとき、人は病気になり孤独を感じる

 

ではどうすれば心が充実できるのか?

それはまず誰が側に居てくれるかだ

それはまず妻であり家族だ、そして友、盟友

出世、金、権力、人からもらったそんなものはいらない

出世も、金も、権力も与えられるものではない

与えられたものには何の価値もない、疲れて病になるのが落ちだ

 

自らが作り出すものにこそ価値があるのだ

「自分の人生は自分で作る(決める)」

これがすべてだ

 

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