2022年01月31日
サラリーマンの定年後5
【サラリーマンの定年後5】
サラリーマンは現状60歳定年が多い、65歳までは同じ会社で働けるが再雇用制を採用している会社がほとんどだ。それでは再雇用となるとどうなるのか。60歳定年時役員にでもなっていなければ、再雇用となりやっていることは同じでも収入は現役時代の6割まで減少する。手取りで50万もらっていた人が6割の手取り30万にまで減少、そして役職が無くなり役職手当まで減収となる。ということは定年再雇用での収入は手取り25万から20万にまで減収される。会社の規約によっては15万円と言うとろまである。確かに責任感はなくなり気楽にはなるが自分より年下の昔の部下が上司となりア~だ、コーだ、と指示してくるようになる。それはわかりきった当たり前のことなのだ、上司の最大の仕事は年上だろうが元上司だろうが仕事の指示と監督なのだから。中間管理職はそれをすることで会社から給料が支払われるのだ。だが昨今はコロナでテレワークが増え上司の部下の指示監督の仕事もだいぶあいまいにはなってはきているが。そしてほとんどの定年再雇用者は35年の住宅ローン残を抱えている。おそらく73歳ぐらいまではほとんどの会社員が残しているのではないだろうか。退職金で繰り上げ返済してしまえばいいからと思っていたと思う。確かに退職金は出たが思っていたほどは出なかった。会社員の退職金は10年前と比べどの会社も一律で減額されてしまっている。退職金で住宅ローン残を返却すれば退職金がなくなってしまう。まあ貯金もあるにはあるがまだ大学に通っている子供がいるので思うような額は貯まっていない。むしろ50歳後半から60歳前半までが一番お金がかかる年代、貯金があまりできていない方が当たり前だ。そうなるとかけなしの退職金を住宅ローンに使ってしまうわけにはいかない。急な出費がいつなんどき起こるのかわからない。ある程度のキャッシュは持っていなければならない。すると手取り25万~20万の中から住宅ローンを払いその他の生活必需の固定費を払う。そうするとどうなるのか、手元には残10万円~5万円ぐらいしか残らない。夫は再雇用でも一応現役だ。会社での付き合いもある。気晴らしに安酒を飲むことも必要だろう。小遣い5万円は欲しいところだが、とてもとてもそんなに夫の小遣いに渡せないせいぜい2~3万だ。還暦を過ぎた現役の会社員のおっさんが高校生並みの小遣いで5年間しのがなくてはならない。そして毎日定年前と同じように出勤して残業して年下の上司に指示をされる毎日は苦痛でしかない。そんな生活が5年間も続くのだ。65歳になれば年金支給が始まるようやく悠々自適のせいかつかと思っても決してそうではない。年金額も年金法改正によってよくわからないが減額されている。思ったより大幅に少ない。今のサラリーマンは10年前のサラリーマンに比べて明らかに老後資金下減額されているのだ。退職金だけでおおよそ500万円の減額、年金も毎月5万円は減っている。平均で手取り16万から18万これが中堅企業の年金だ、また引かれる金が増えたことも大きい、明らかに社会福祉税金の増額だ。ようは給与からの天引き額が増額されているのだ。今の50歳代以上のサラリーマンには受難の時代、悠々自適からは程遠い貧困の老後が待っているのだ。なぜなら3重苦、4重苦が待ち構えているからだ。
- 定年再雇用制度で給与手取り額が大幅減となる。
- 年金受給年齢が65歳からとなる。65歳までは無年金。
- 退職金が減らされている。10年前と比べて約500万円減。
- 年金が減らされている。10年前と比べてもらえる額は約5万円減
- 晩婚化で60歳を過ぎても子供の教育費がかかり続ける。
- 35年ローンで住宅ローン返済がおおよそ73歳まで続く。
- 毎月の夫の小遣いは月3万円、それでも毎月の家計は赤字で退職金の取り崩しをしなければ間に合わない。
8.月の小遣い3万円では今まで通りの付き合いもできない。思わずアフター5の付き合いを断る回数が増えた
10.私は今まで一体何の為に働いてきたのか。悠々自適の老後を夢見て働いてきたのでは
ないのか、私はいったいどこで間違ったのか、このままでは死ぬまで働くか、
死ぬまでひっそりと息をひそめて節約生活に徹するしか生きていく方法はないのか
【伊賀の里自然墓苑/滝仙寺】
素晴らしいお墓……
歴史と自然、樹木と見晴らしの永代供養墓です
1区画30万円で墓石込、4寸骨壺8個ご霊体まで納骨可能
家墓としてご家族ご夫婦だけでの入墓可能
その後の年間管理料、檀家料等一切の費用は掛かりません
伊賀の里自然墓苑/滝仙寺事務局
TEL0120180806 http://iganosato.com/
Email:lmg0806@outlook.com
資料請求、ご見学等ご連絡をお待ちしております。
上記HPよりお問合せ頂けます。
2021年11月27日
伊賀の里グループ葉っぱの会
「伊賀の里自然墓/滝仙寺」合祀墓(永代供養納骨料3万円)
「上記送骨も承ります」(ゆうパック)
「納骨法要、回忌法要、各種祈願」(お布施3万円)
※滝仙寺本堂(伊賀市)もしくは大阪勤行堂『伊賀の里阿弥陀堂』(大阪市)
「リーモート合同法要も承ります」(お布施1万円)
詳しくはお問い合わせください
【LMG伊賀の里グループ】
2021年07月01日
サラリーマンはどう生きれば幸せなのか?
【サラリーマンはどう生きれば幸せなのか?】
心が痛む事件が2つ起きた
ひとつは大阪カラオケパブ女性店主殺害事件
容疑者は西宮のマンションに妻と二人の子供と住む56歳の普通の会社員の常連客だ
同じマンションの住人は仲の良い普通の家族だと思っていたらしい
だが56歳の容疑者はほぼ毎日殺された女性店主の店に通って
閉店まで居座っていたらしい
女性店主にしつこく言い寄り、殺された女性はストーカー被害を周囲に漏らしていた
なんとも考えられないような事件だが
起きる可能性もあるような事件だと思う
警察は事件直後からこの56歳の常連客を容疑者としてマークしていた
どうして男はこのようなすぐに発覚するような事件を起こしたのか
普通の家庭を営む普通の会社勤めの56歳の男がなぜ
それにしても被害者の女性は可哀そう過ぎる
ご冥福をお祈りしたい
本当になんというひどい事件だ
もうひとつはネットカフェ女性従業員人質立て籠もり事件だ
こちらは33歳の無職の男だが逮捕された
幸い被害者の女性は大したけがはなかったが30時間以上に及び
人質となり精神的なダメージは一生消えないだろう
まさにトラウマとなり今後の人生に与えた負の影響は大きい
犯人は被害者女性とは面識はなかったらしい
どうしてそのような短絡的犯行を冒してしまうのか
短絡的犯行を冒してしまうほど頭の中は追い詰められていたのか
それとも精神も思考も崩壊してしまっていたのか
どちらの事件も理解できない
いずれにしてもこの痛ましい二件の事件の被害女性のご冥福と
ご回復をお祈りしたい
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2021年06月13日
定年後毎日のルーティン

【定年後の毎日のルーティン】
ゴルフはアドレス時のルーティンが重要だ
安定したスイングで安定したボールを打つのには
ルーティンを忘れスイングしたボールはミスショットとなる場合が多い
毎日の生活も同じだと思う、ルーティンの確立こそが安定した生活をする鍵となる
ルーティンができていなければミスが多くなる
人は初めての行動時に不安を感じるものだ
初めてのレストラン、初めての登校、初めての出社……
同じ時間に起き、同じルーティンでしたくする、もちろん朝食も、コーヒーに入れるミルクの量も毎朝同じだ、そして同じ時間に出社する
すると何時に会社のディスクに座るのかわかる
たまに電車に遅れが出れば途端に不安になる
余談だが
昔、よく行った中国大連の百貨店など店舗によって開店時間が異なる、店舗の都合で臨時休業もしょっちゅうだ、それが当たり前になっている
日本人の几帳面さとは大違いだ
買い物も値切って買うのが当たり前、初めの提示値の半分になることもある
日本の百貨店では値切って買い物をする人はいないし値切っても絶対に安くはならない
しかし考えようではそれぞれの店舗がまたそれぞれの人間で商売のルーティンが違うということだ、あれだけの人数がいても人それぞれルーティンを持っている、個性があるということだ
たぶん人それぞれ自分だけのルーティンを作らなければそしてそれを守らなければ生きていけないということだろう
日本人は違う、個性の欠片もない
日本は個性を出しては、もっと言えば個性を持ってはいけない社会なのだ
会社員は皆同じような服を着て同じような髪形をする
社長がネクタイをしていれば全員がネクタイをして出社する
協調性がすべての国民だ
中国人は違う個性がすべての国民なのだろう
勘違いをしている人も多いだろう、中国は共産主義で一党独裁政治だから、国民も強制された同じ考えのもと言われたとおりに生きていると
だが違う、中国人は皆個性的でそれぞれが自分の思うとおりに生きている
有名になんかなりたくない、ただ金持ちになりたいだけ
中国や韓国では超有名人が叩かれ蹴落とされる文化がある
韓国歴代大統領のほとんどが逮捕され裁判にかけられ有罪になるのと同じだ
日本人は違う超有名人になることがすべてだ
オリンピックの聖火リレーのランナーに選出されることがすべてなのだ
素晴らしいお墓……
歴史と自然、樹木と見晴らしの永代供養墓です
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2021年06月08日
新型コロナ陽性という悪夢に日本はいつまで耐えられるのか―そのサービス、本当に必要ですか
新型コロナ陽性という悪夢に日本はいつまで耐えられるのか―そのサービス、本当に必要ですか
先日私も感染者の一人となり、ホテルで1週間の療養が義務付けられた、まるで悪夢だ。しかしPCR検査費用もホテル療養の滞在費用、その期間の食料代もすべて公的費用から支払われる。私は一円も払っていない。払ったと言えるのは体温計を買ったお金とホテルからの帰りの交通費だけだ。公的負担はそれだけではない。緊急事態宣言発動による休業要請に応じたお店や店舗に支払われる支援金。また企業の持続可給付金、また世帯や個人への緊急小口資金etc……、言い出したら切りがない。それらのコロナ対応での公庫から出るお金すべて税金であり国の借金だ。そのツケを現内閣官僚がそれぞれのポケットマネーで返してくれるわけではない(もちろん返そうと思っても100兆円など持っている人はいない)。しかしコロナ対策費として100兆円を支出したのは内閣だ。そして使ったのは我々国民だ(もちろん100兆円の中には混乱の中で闇に消えたお金も多くある)しかし将来返していかなくてはいけないのも国民だ。
〔政府はコロナ経済対策として1年に3回の補正予算を組み、国費76兆円、財政投融資などを合わせた総事業費300兆円を湯水のようにつぎ込んだ。その結果、今年度の新規国債の発行額は112.6兆円と過去最高に達している。〕
今の世の中、損得を判断基準にして生きている人もいる。貰えるものは貰わなければ損だ。低賃金で必死に働かなくても国がお金を用立ててくれるではないか、そのお金を貰えば医療費も国が支払ってくれる。得だ、受けられるだけ公的サービスは受けなければ損だ。だが考えてみれば昭和の時代には介護保険もなかったのに高齢者は今より幸せに暮らしていた。また55歳になれば年金が貰えて70歳以上になれば医療費も無料だった。消費税も3%だったし、生活保護も今よりずっと受けている人は少なかった。だが子供は元気に学び遊び、若者は青春を謳歌していた時代だ。日本は世界で一番経済力が強く裕福な国だった。だがバブルがはじけ30年日本は停滞をしたまま世界中の国にどんどん抜かれ世界で活力のない国のひとつになってしまった。この停滞は日本の国民に何をもたらしたのか。それは諦めにも似た絶望感と虚脱感だ。貰えるものは貰っておこう。受けられるサービスは受けておこう。それはコロナでホテル療養でのホテルの部屋までの荷物運びでも何でもだ。やろうと思ったら出来るのだけど、せっかくやってくれるというのだからやってもらおう。もちろんそういう人はごく一部だと思うが、困っている人は助けなければいけないが、少し困ったからと言ってなんでも手取り足取り助けるのは、その人の為にもまた日本の為にも少し控えめにしたほうがいいような気がする。
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2021年06月07日
事情が変わった途端、乗っていたレールの上から脱線し失脚する サラリーマンの悲しい運命

【事情が変わった途端、乗っていたレールの上から脱線し失脚する
サラリーマンの悲しい運命】
仕事をするということ
前に進むということだ
いろいろ考えてはいけないなのかもしれない
いろいろ考えてしまっては手が止まる、動きが止まる、思考も止まる
考えてしまっては良い結果は生まれない
と言うよりも仕事が前に進まなくなってしまう
まず前に進める、いろいろやる、とにかくやる、人の3倍やる
考える前にやる、仕事をするということだ
考える前にやるということが大切なのだ
それは仕事がはかどる、よく進む秘訣なのかもしれない
何も考えずに、余計なことを考えずに人の3倍働く
あなたはそれが出来ますか?
考えすぎてもしょうがない
考えすぎると心が止まる
心への血の循環が悪くなる
血の循環が悪くなれば、病気になる
心へ酸素がいかなくなる
そうなればまた病気になる
それは人体の、人の心の宿命なのだ
とにかく人の体も心も
血のめぐり、酸素のめぐり、新陳代謝を
浴することだけを考えていれば
体も心も健康を保てる
そんな気がします
人生はいろいろあるのだ
上手くいかないことも多い
上手くいかないことの方が多い
人はそんなとき何か心の拠りどころを探して生きる
出世をよりどころに生きている人種は(サラリーマンにはやたら多いが)
上司や役員の評価を拠りどころにして生きながらえる
評価が途切れでもしたらまさに死活問題なのだ
何かの事情が変わり評価が下がりキャリアを終わらせてしまう人間もいる
昨日まで肩で風を切り社内を闊歩していた人間も
事情が変わった途端、乗っていたレールの上から脱線し失脚する
サラリーマンの悲しい運命だ
30年以上耐えに耐え評価だけを拠りどころに生きてきた人間が
一日にして30年間の苦労を水の泡にしてしまうのだ
自分を評価し続けてくれた人間が失脚しても事情は同じだ
たとえ途中で失脚しなくとも運よく常務や専務まで出世したとしても
65歳間近になると「今までご苦労さん」とトップの鶴の一声で退任させられる
わずかな退職金(慰労金)をもらって
とたん翌日から暇になる、あれほど鳴り響いていた携帯電話もピタッと鳴らなくなる
誰も連絡してこなくなる、ゴルフの誘いさえピタッとなくなる
おまけにこちらからゴルフの招集をしても、現役時代あれほど目をかけてやり自分の子飼いだと思っていた部下まで、なんやかんや理由をつけては断ってくる
電話口で迷惑そうな声まで出す始末
疎外感と孤独感で胸が詰まる
振り返って私の人生はいったい何だったのかと落ち込み暗くなる
現役時代あれほど活力と責任感に満ちていた人生が
一日にしていくところもやることも何も無い孤独な老人へと急変してしまうのだ
おまけに一日中家に居れば嫁にまで疎んじられ、熟年離婚を切り出される始末
子供たちは知らん顔して寄り付きもしない
一切合切どうなってしまったのだ
今までコツコツと真面目に努力してきた人生が、退社を境に地獄へと変わってしまう
所詮会社人間など、真面目なだけが取柄で面白くもなんともない
酒を飲んでも「お前は酒に飲まれ過ぎる、酒を飲んでも人の悪口を言ってはいけない」
と上司面して説教を始め「そういうところがお前はダメで、だから出世できない」と
おれは人間が出来ているから出世出来たのだと言わんばかりに語り始める
ユーモアの欠片もない人間が出世していくのがサラリーマンだが
しかし酒を飲んで酔っ払って人の悪口を言って何が悪いのだろうか、酔っ払って多少羽目を外して言いたいことを言うから酒を飲んでいて面白いのではないのか
おまけに俺は引退の身だから割り勘で頼むと言い出す、人間がセコイ
そんな人間が大真面目に「人格」と言う言葉を口にする
「お前はどうなのだ」と言いたい
何処の会社でも、退職した、元専務と元常務それに元監査役などが連れだって、地方の温泉地へゴルフ旅行とかに行くものだ
「いや~なかなか毎日忙しいものですな~、この間は、日程が合わなくて行けずごめんなさい、あの日は久しぶりに娘が孫を連れて遊びに来たものですから」
「昨日など妻がフィットネスクラブへ行くというもので、送り迎えですよ」
「こちらこそ、この間は飲みに誘ってくれたのに行けなくてすいませんね、家内が久しぶりに家で夕飯を作るって言い出すもので」
飯もろくろく作ってもらっていないのか
哀れさを通り越してむしろ同情してしまう
悲しい男たちの末路だ
おっと、わたしは今酔っ払っているわけではないが
つい力が入ってしまいました、ご勘弁を
まあ、他人のことなどどうでもいい、自分自身が退職後そういう境遇や心境に落ちないように気を付けようと心底思う今日この頃だ
2015年08月26日
老後の法則
人は誰にも絶頂期がある
もうこれでいいと思える時もある
このままこれでいこうと思える時もある
自分自身の限界を、人生の限界を感じる時がある
だが結局はこれでいいのだ
間違ってはいなかったのだ
間違っているのは心の悩みなのだ
何事も思い煩ってはいけないのだ
思い煩っては足が止まる
心が後ろへ、後ろへと向いてしまう
それではいけないのだ
結局はどうすることも出来ないのだから
前に進むしか道はないのだから
後悔は後悔を生む
失敗は失敗を生む
後退は後退しか生まない
負の連鎖だ
負の連鎖はじわじわと進行し
一気に奈落へと突き落す
癌細胞と同じだ
発見が遅れれば遅れるほど
取り返しがつかなくなってしまう
すべては一本の線でつながっている
道は全て同じ方向へしか向かわないのだ
何事も道理は同じだ
癌細胞も人生も
元気を振り絞り誰かに元気を与えれば
自分にも本物の力が湧いてくる
相対効果の法則だ
原理原則
正の法則は曲げられないし変わらない
とにかく前向きに元気を出せばいいのだ
今日も一歩前に進んで
そしたら同じようにやれば明日もきっと一歩前に進むことが出来る
つまずきもしょうがないとすぐに切り替えて
もう一度頑張れば取り返しがつく
何かをやるのだ
自分のやりたいことを
自分が正しいと思うことを
とにかくやるのだ
信じることだ
大切なものは
フォームだ
スタイルだ
自分だけのフォーマットだ
生き様を、生活様式を確立することだ
決めたならだれが何と言おうが守りきるのだ
守るべきものとは
それは職場ではない
役職でもない
理想の家族でもない
経済力でもない
贅沢な暮らしでもない
名声名誉でもない
友でもなく知人でもない
協調でもなく共同でもない
それは
インディアンのような信念だ
自分自身に嘘をつかない信念だ
決して出しゃばらない
静かに貫き通す信念だ
それがお前に出来るのか
お前には貫き通す強さがあるのか
人生に問われているのは自分自身の信念なのだ
権力に溺れる者は権力に泣くことを
役職に溺れる者は役職に泣く
幸せに溺れる者は幸せに泣く
愛に溺れる者は愛に泣く
だから
どんなに魅力ある者であっても
溺れてはいけないのだ
大切なものは自分自身の信念だけなのだ
信じられるものも自分自身の信念だけだ
決して権力や役職や幸せや愛ではないのだ
そんなものはへのツッパリにもならない
素晴らしいお墓……
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2015年08月24日
老後の至福
今この時のなんと幸福なことか
風呂上り冷たい飲み物で喉を潤し
涼しい夜風に当たりながら
何も想わず
ただ心地よさに身をゆだねる
至福の時だ
人はなぜあがき苦しみながらそれほどまでに何を求めるのであろう
いったいその先には何があるのか
その先を追及する限り
同じ苦しみが立ち塞がるだけなのだ
どこまで行ってもあがき苦しみからは脱することは出来ない
人は地位や名誉を求め続ける限り
苦しみから離れることは出来ない
人よりも出世したい
人よりも金が欲しい
人よりも名誉が欲しい
それを追い求める限り
永遠に心の安らぎを得ることは出来ないであろう
人が追い求めなければならないものは
心の自由
人生の自由なのだ
煩悩、欲望を捨て去り
すべてを空とすることが出来たとき
そこに一筋の光が差し込む
死ぬときは死ねばいい
人はいつか死ぬのだ
死の恐怖にあがき苦しむことほど虚しいことはない
金など有っても良いが無くても良い
金のために一生奴隷になり苦しむつもりもない
愛は持っている
いつでも与えよう
だが欲しがりはしない
何故ならば愛もまた欲しがれば逃げていくものだから
嫉妬の為に一生苦しむつもりもない
健康でいることに越したことはないが
だが病気でも仕方がない
人は皆年老いたなら病気になり死んでいくものだから
健康のまま死んでいくものはいない
病気とも友のように付き合えばいい
寂しさがまぎれるかもしれない
心底の悪人はいない
万が一居たとしても
そんなもののためにこちらが思い煩うつもりもない
放って置けばいい
何事に対しても
思い煩うことほど馬鹿らしいことはない
そんなものに縛られて生きることほど
人生の貴重な時間を無駄にしているのだ
放って置けばいい
すべてのものは所詮空なのだから
人生は空、無の心
わたしの心は金輪際
誰からも指一本触れさすことはないであろう
わたしの心は固い鋼のガードで囲まれている
しかし外に対しては開けっ広げでさらけ出す
しかしその中身は無だ
触ろうとしても中身が無いのだから触れない
わたしは決して動揺もしない、怒りもしない、悲しみもしない、興奮もしない
何故ならば心には色もなく形もなく匂いも無く、『無』なのだから
動かしようがないのだ
2015年08月23日
老後の人間関係
人生は一見複雑な要素が絡み合いもつれ合い作られている
だがよく透かして見れば単純な元素に支配されているだけなのだ
その元素はビクともしない、変えることは出来ないし動かすことも出来ない
日本国憲法第9条のようなものだ
人はどう転んでもどんなに頑張っても人生の土台にある
元素には勝てないのだ、動かすことさえ出来ない
その基本を理解することだ
そのうえで何をやりどう生きるのかだ
人生の基本元素は
毎日を我慢することではなく、毎日を楽しむことだ
また面白くもないことをやらされることではなく
好きなことをやることだ
次に自分を主張しぶつかり合うことではなく
自分を主張しながら相手を理解することだ
人と会い交わることだ
わたしの為だけではなくあなたの為にもなりますよと
言い切ることだ
そして信じてもらうことだ
騙されてもいいと直感的に思わせることだ
もちろん誤解なきよう言うが
人を騙したり裏切ったりしてはいけない
騙すのと信じさすのとでは全然質が違うのだから
体を張って、命をかけてでもけっして相手を裏切らない
一度裏切ればその相手との関係は終わったのも同然だ
二度と覆水盆には帰らず
夫婦間も同じ、恋人同士、友人同士も同じだ
絶対に相手を裏切ってはいけない
何故裏切ってはいけないかと言えば
その関係はもう二度と元に戻らなくなってしまうからだ
寸前のところで踏ん張る、ほとんどが見透かされていても踏ん張る
そこが腕の見せ処だ
人生において人を裏切ってもいけないが裏切られてもいけない
どっちもどっち痛手は計り知れない
『覆水盆に戻らず』
人生においてこれほどの後退があるのか
今まで積み重ねてきたものが崩れ去り
一から、いやマイナスからのスタートになってしまう
人生はすごろくゲームではない
【振り出しに戻る】もなければ【リセットボタン】もない
転んだなら先に行かれるだけだ、取り残されてしまう
始めからのやり直しはないのだから
今日の朝からのやり直しは出来ても
昨日からのやり直しは不可能だ
修復不可能なものは捨てていくしかない
人生で怖いのは置いて行かれれば二度と追いつくことが出来ないところにある
あくまでもゲームやスポーツの世界では上手くやれば追いつくことも瞬間にして抜き去ることも可能だ、だからゲームは面白い
だがリアル人生においては、基本的にそれは出来ないこと、不可能なことなのだ
そういう元素が根底にあるのだからしょうがない
それを知ったうえで人生を生きなければならない
そして人生の最大の敵はストレスだ
過大なストレスはあなたのすべてを蝕む
本能のままに生きる人に病気はない
たとえ不摂生を重ね病気になったとしても
後悔などせず開き直れる、自分自身に対しては素直になれるし
諦めることも出来る、臨機応変の術だ
根底にある元素記号だけ理解できれば
あとは表面で好きなように動き廻っても失敗などしない
そもそも失敗の観念すら持っていない
そういう人間は人には気前よく驕るが、人から驕ってもらうのは大嫌いだ
酒は好きだが驕ってもらうくらいなら酒など飲まないし飲みにも行かない
誘われたならば最低割り勘
こちらから誘えば、全部ではないが相手よりも多めに出す
それが元素だ
わたしのライフスタイルは
朝起きて、仕事して、運動して、酒を飲んで、そして書く
たまの休日は女房と映画見て飯食って、そして書く
もうそれだけでいい
それの繰り返しでいい
毎日毎日同じことをして同じように生きる
同じことをして同じように生きることが好きなのだ
わたしは同じ人間としか飲まないし付き合わない
わたしは同じことしかやらないし同じところにしか行かない
わたしは同じ毎日しか送らない
わたしは同じことをするのが好きなのだ
サラリーマンの最大の欠点は同じところにいつまでもいられないということだ
紙切れ一枚であっちに行けこっちに行けと転勤や部署替えを命じられる
断れない
もう一つせっかく育てた部下といつまでも一緒には働かせてくれない
やはり紙切れ一枚で離ればなれ、昨日の友が今日の敵に変わる
本人の意思とは関係なしに
ようするに紙切れ一枚で人生を変えられてしまうということだ
完全なる自己否定の世界だ
わたしはサラリーマンの世界を完全に否定する
そうすることでかろうじてサラリーマンとして生き延びてこられた
その心構えがサラリーマンを捨てる足掛かりも作った
(まだしがみついているが)
わたしは人を簡単に信じるが、世の中のシステムは信じない
世の中のシステムこそコンプライアンスを振りかざす
正義の仮面をかぶった必要悪だ
皆は洗脳されているのだ
システムを肯定しなければ生きていけないのではないか
幸せになれないのではないかと
だが世の中のシステムほど正義の仮面をかぶったまま矛盾しているものはない
人は世の中のシステムに生かされているわけではない
自分で自分の考えで自分の力で生きているのだ
世の中のシステムなどは交差点にある信号機のようなものだ
守った方がいい、だが仕方なく守っているだけなのだ、自分の身を守るために
だが矛盾を正義と解釈してはいけない
あくまでも矛盾は矛盾であって正義ではなく悪なのだ
守るべきものではなく、仕方なしに守っているものなのだ
しかし妄信的に従うととんでもないしっぺ返しが待っているであろう
世の中のシステムは人間関係の敵だが仕方なく守る
しかし本当に守らなくてはいけないのは人と人とのつながりではないだろうか
もっと簡単に説明すれば
壊してはいけないのは世の中のシステムではなしに人間関係だということだ
2015年08月23日
サラリーマンの老後を考える
<老後を考える>
もうそのような歳なのか
だが今日もまた老後を考えてしまう
もしかしたら日本人の99%は自分の老後を毎日考えながら生きているのではないのか?
老後のために何をすればいいのか
どうする定年後の人生
老後の蓄え、老後破産したらどうしよう
失敗したら老後貧困の仲間入り
老人漂流社会、下流老人、老後難民、孤独死、放置死、老後餓死……
若いうちからそのようなことばかり心配しながら生きている
人生を楽しめるはずがない
今が一番楽しいのに、楽しもうともしない
充実しているはずの日常が、老後の心配で埋め尽くされる
人生に老後が重くのしかかる
所詮、老後などはおまけみたいなものなのに
こんなことを言ったらなんだが
自分などさっさと70歳ぐらいで死んだ方がいいと思えてくる
老後の蓄えは最低3000万円必要ですよ
まともに生きてきた我々にいったいどこにそんな金がある
こんなことを書いたら、俺はかろうじて3000万円持っているから
中流だ、などと勘違いし優越感を持つ輩が出てくる
まったくの勘違いだ、3000万円持っていたら偉いのか
人間の価値は預貯金の多さではない中身だ
しかしそんな言葉が通用しない時代になっているのかもしれない
寂しいことだ
だがいろいろ考えすぎると
老後などもうどうでもよくなってしまうのも事実だ
老後になれば半分惚けてしまうのかもしれない
惚けなくともフラフラになるのは事実だ
ボーと西の空ばかり見ているのかもしれない
それでもそんな毎日に何も感じなくなってしまうのかも
ようするに老後などあまり考えすぎてもいけないのだ
(しかしわたしは老後を考えるのが趣味みたいなものだけれど)
今も楽しく、老後も楽しく
それが一番幸せな人生だ
今が楽しくなくて、老後だけが楽しいはずがない
少なくとも今よりは(体力、気力、資金力の面から言っても)
楽しくなくなるのは間違いないのだから
会社など60歳できっちりやめてやろう
これが普通のサラリーマンの合言葉みたいになってしまっている
だが皆やめられないのだ
勇気のある人間は62歳か63歳で辞めていく
お金の心配を抱えながら
現に誰もが3000万円握りしめて老後を迎えようとする
俺は持っていない奴らより少し上流なのだと
だがようするに頑張るしかないのだ
今も老後も死ぬ間際まで
楽をしたいなどと思うからいけないのかもしれない
人間楽をし過ぎると余計に不調を感じる
そもそも楽な人生なんてものはあり得ないのだ
人それぞれ何か問題を抱えてしまうものなのだ
何もないというのもまた問題なのかもしれない
すべての病気の原因はストレスからくるといわれている
それに気力、精神力、やる気が失せたとき
人はガタッときてしまい急に老けこみ病気になる
細胞が急激に死んでしまうのだ
老化現象が起こる
ようするに人は今も、死ぬまでもずっと
やりたいことを頑張ってやって生きていくしかないのではないのか
「何がやりたいのか?」
「何が好きなのか?」
「どうなりたいのか?」
この3つを忘れないことだ
人は本当に好きなことはそういくつもあるわけではない
無理をしてあれもこれもやらなくてもいいのではないのか
本当に好きなことを一つだけやり続ければいいのだ
朝から晩まで毎日欠かさず
それだけで元気に生きていけるはずだ
他人がやっているから、面白そうだから、やらなければ取り残される
大金持ちは皆、ワインを収集し、クルーザーを買う
決まってそうだ
ワインとクルーザーは金持ちのステータスなのだ
ステータスに踊らされていては
本当の自分は何なのか? 本当の自分はどこに居るのか?
見失ってしまうのではないのか
それこそみじめな人生だ
自分をしっかり持つことだ
「自分の人生は自分で決める」
いい意味で我を強く持つこと
現代社会こそ自我を進めたい
禅でいう無我の境地は、裏を返せば非常に強力な自我のことかもしれない
脳力と戦う、脳力を使い切る、脳力マラソン
自分の限界に挑戦しよう
脳細胞が崩壊するまで
マラソンはまさに限界への挑戦そのものだ
体力、気力、忍耐力、持続力、瞬発力、精神力、等
もしかしたらそこに惹かれるのか、ライナーズハイ
登山もそうだ、死への挑戦、限界への挑戦だ
クライマーズハイ
書くことも、もしかしたら限界への挑戦なのかもしれない
『ライターズハイ』
限界を超えると何かが見えてくる
まさに禅の座禅と同じだ
悟りが見える、大悟する
『ザゼナーズハイ』だ
わたしはこのまま朝まででも書き続けられるであろう
だがわたしも明日会社がある身、もうこのへんで寝よう、夜中の一時だ
ゴルフも楽しい
一日中毎日でもやっていられるほど好きだ
だが金にはならない
金にならなければそれほど一生懸命にはなれない
やり続ければ僅かでも金になること
それに越したものはない
人はもしかしたらどこかにたどり着くために生きているのかもしれない
それはけっして死ではない
死ぬまでに辿り着かなければいけないところがあるのだ
その人にとって探していた居場所が
聖地が、聖職が、聖域が
それは人それぞれ違うのだろう
昔の人はすべてを投げ出し、命がけで巡礼の旅に出た
聖なる場所を求めて
その人たちには聖なる場所は
己の人生よりも、己の命よりも大事なところだったに違いない
そこにたどり着くことが人生だったのだ
今日の格言
「朝起きて夜寝るまで、そして月曜から日曜まで、出来るだけ同じようにやることだ。それが上手くいく秘訣だ」