2021年07月01日
サラリーマンはどう生きれば幸せなのか?
【サラリーマンはどう生きれば幸せなのか?】
心が痛む事件が2つ起きた
ひとつは大阪カラオケパブ女性店主殺害事件
容疑者は西宮のマンションに妻と二人の子供と住む56歳の普通の会社員の常連客だ
同じマンションの住人は仲の良い普通の家族だと思っていたらしい
だが56歳の容疑者はほぼ毎日殺された女性店主の店に通って
閉店まで居座っていたらしい
女性店主にしつこく言い寄り、殺された女性はストーカー被害を周囲に漏らしていた
なんとも考えられないような事件だが
起きる可能性もあるような事件だと思う
警察は事件直後からこの56歳の常連客を容疑者としてマークしていた
どうして男はこのようなすぐに発覚するような事件を起こしたのか
普通の家庭を営む普通の会社勤めの56歳の男がなぜ
それにしても被害者の女性は可哀そう過ぎる
ご冥福をお祈りしたい
本当になんというひどい事件だ
もうひとつはネットカフェ女性従業員人質立て籠もり事件だ
こちらは33歳の無職の男だが逮捕された
幸い被害者の女性は大したけがはなかったが30時間以上に及び
人質となり精神的なダメージは一生消えないだろう
まさにトラウマとなり今後の人生に与えた負の影響は大きい
犯人は被害者女性とは面識はなかったらしい
どうしてそのような短絡的犯行を冒してしまうのか
短絡的犯行を冒してしまうほど頭の中は追い詰められていたのか
それとも精神も思考も崩壊してしまっていたのか
どちらの事件も理解できない
いずれにしてもこの痛ましい二件の事件の被害女性のご冥福と
ご回復をお祈りしたい
素晴らしいお墓……
歴史と自然、樹木と見晴らしの永代供養墓です
1区画30万円で墓石込、4寸骨壺8個ご霊体まで納骨可能
家墓としてご家族ご夫婦だけでの入墓可能
その後の年間管理料、檀家料等一切の費用は掛かりません
伊賀の里自然墓苑/滝仙寺事務局
TEL0120180806 http://iganosato.com/
2021年06月13日
定年後毎日のルーティン

【定年後の毎日のルーティン】
ゴルフはアドレス時のルーティンが重要だ
安定したスイングで安定したボールを打つのには
ルーティンを忘れスイングしたボールはミスショットとなる場合が多い
毎日の生活も同じだと思う、ルーティンの確立こそが安定した生活をする鍵となる
ルーティンができていなければミスが多くなる
人は初めての行動時に不安を感じるものだ
初めてのレストラン、初めての登校、初めての出社……
同じ時間に起き、同じルーティンでしたくする、もちろん朝食も、コーヒーに入れるミルクの量も毎朝同じだ、そして同じ時間に出社する
すると何時に会社のディスクに座るのかわかる
たまに電車に遅れが出れば途端に不安になる
余談だが
昔、よく行った中国大連の百貨店など店舗によって開店時間が異なる、店舗の都合で臨時休業もしょっちゅうだ、それが当たり前になっている
日本人の几帳面さとは大違いだ
買い物も値切って買うのが当たり前、初めの提示値の半分になることもある
日本の百貨店では値切って買い物をする人はいないし値切っても絶対に安くはならない
しかし考えようではそれぞれの店舗がまたそれぞれの人間で商売のルーティンが違うということだ、あれだけの人数がいても人それぞれルーティンを持っている、個性があるということだ
たぶん人それぞれ自分だけのルーティンを作らなければそしてそれを守らなければ生きていけないということだろう
日本人は違う、個性の欠片もない
日本は個性を出しては、もっと言えば個性を持ってはいけない社会なのだ
会社員は皆同じような服を着て同じような髪形をする
社長がネクタイをしていれば全員がネクタイをして出社する
協調性がすべての国民だ
中国人は違う個性がすべての国民なのだろう
勘違いをしている人も多いだろう、中国は共産主義で一党独裁政治だから、国民も強制された同じ考えのもと言われたとおりに生きていると
だが違う、中国人は皆個性的でそれぞれが自分の思うとおりに生きている
有名になんかなりたくない、ただ金持ちになりたいだけ
中国や韓国では超有名人が叩かれ蹴落とされる文化がある
韓国歴代大統領のほとんどが逮捕され裁判にかけられ有罪になるのと同じだ
日本人は違う超有名人になることがすべてだ
オリンピックの聖火リレーのランナーに選出されることがすべてなのだ
素晴らしいお墓……
歴史と自然、樹木と見晴らしの永代供養墓です
1区画30万円で墓石込、4寸骨壺8個ご霊体まで納骨可能
家墓としてご家族ご夫婦だけでの入墓可能
その後の年間管理料、檀家料等一切の費用は掛かりません
伊賀の里自然墓苑/滝仙寺事務局
TEL0120180806 http://iganosato.com/
2021年06月08日
新型コロナ陽性という悪夢に日本はいつまで耐えられるのか―そのサービス、本当に必要ですか
新型コロナ陽性という悪夢に日本はいつまで耐えられるのか―そのサービス、本当に必要ですか
先日私も感染者の一人となり、ホテルで1週間の療養が義務付けられた、まるで悪夢だ。しかしPCR検査費用もホテル療養の滞在費用、その期間の食料代もすべて公的費用から支払われる。私は一円も払っていない。払ったと言えるのは体温計を買ったお金とホテルからの帰りの交通費だけだ。公的負担はそれだけではない。緊急事態宣言発動による休業要請に応じたお店や店舗に支払われる支援金。また企業の持続可給付金、また世帯や個人への緊急小口資金etc……、言い出したら切りがない。それらのコロナ対応での公庫から出るお金すべて税金であり国の借金だ。そのツケを現内閣官僚がそれぞれのポケットマネーで返してくれるわけではない(もちろん返そうと思っても100兆円など持っている人はいない)。しかしコロナ対策費として100兆円を支出したのは内閣だ。そして使ったのは我々国民だ(もちろん100兆円の中には混乱の中で闇に消えたお金も多くある)しかし将来返していかなくてはいけないのも国民だ。
〔政府はコロナ経済対策として1年に3回の補正予算を組み、国費76兆円、財政投融資などを合わせた総事業費300兆円を湯水のようにつぎ込んだ。その結果、今年度の新規国債の発行額は112.6兆円と過去最高に達している。〕
今の世の中、損得を判断基準にして生きている人もいる。貰えるものは貰わなければ損だ。低賃金で必死に働かなくても国がお金を用立ててくれるではないか、そのお金を貰えば医療費も国が支払ってくれる。得だ、受けられるだけ公的サービスは受けなければ損だ。だが考えてみれば昭和の時代には介護保険もなかったのに高齢者は今より幸せに暮らしていた。また55歳になれば年金が貰えて70歳以上になれば医療費も無料だった。消費税も3%だったし、生活保護も今よりずっと受けている人は少なかった。だが子供は元気に学び遊び、若者は青春を謳歌していた時代だ。日本は世界で一番経済力が強く裕福な国だった。だがバブルがはじけ30年日本は停滞をしたまま世界中の国にどんどん抜かれ世界で活力のない国のひとつになってしまった。この停滞は日本の国民に何をもたらしたのか。それは諦めにも似た絶望感と虚脱感だ。貰えるものは貰っておこう。受けられるサービスは受けておこう。それはコロナでホテル療養でのホテルの部屋までの荷物運びでも何でもだ。やろうと思ったら出来るのだけど、せっかくやってくれるというのだからやってもらおう。もちろんそういう人はごく一部だと思うが、困っている人は助けなければいけないが、少し困ったからと言ってなんでも手取り足取り助けるのは、その人の為にもまた日本の為にも少し控えめにしたほうがいいような気がする。
素晴らしいお墓……
歴史と自然、樹木と見晴らしの永代供養墓です
1区画30万円で墓石込、4寸骨壺8個ご霊体まで納骨可能
家墓としてご家族ご夫婦だけでの入墓可能
その後の年間管理料、檀家料等一切の費用は掛かりません
伊賀の里自然墓苑/滝仙寺事務局
TEL0120180806 http://iganosato.com/
Email:lmg0806@outlook.com
2021年06月07日
事情が変わった途端、乗っていたレールの上から脱線し失脚する サラリーマンの悲しい運命

【事情が変わった途端、乗っていたレールの上から脱線し失脚する
サラリーマンの悲しい運命】
仕事をするということ
前に進むということだ
いろいろ考えてはいけないなのかもしれない
いろいろ考えてしまっては手が止まる、動きが止まる、思考も止まる
考えてしまっては良い結果は生まれない
と言うよりも仕事が前に進まなくなってしまう
まず前に進める、いろいろやる、とにかくやる、人の3倍やる
考える前にやる、仕事をするということだ
考える前にやるということが大切なのだ
それは仕事がはかどる、よく進む秘訣なのかもしれない
何も考えずに、余計なことを考えずに人の3倍働く
あなたはそれが出来ますか?
考えすぎてもしょうがない
考えすぎると心が止まる
心への血の循環が悪くなる
血の循環が悪くなれば、病気になる
心へ酸素がいかなくなる
そうなればまた病気になる
それは人体の、人の心の宿命なのだ
とにかく人の体も心も
血のめぐり、酸素のめぐり、新陳代謝を
浴することだけを考えていれば
体も心も健康を保てる
そんな気がします
人生はいろいろあるのだ
上手くいかないことも多い
上手くいかないことの方が多い
人はそんなとき何か心の拠りどころを探して生きる
出世をよりどころに生きている人種は(サラリーマンにはやたら多いが)
上司や役員の評価を拠りどころにして生きながらえる
評価が途切れでもしたらまさに死活問題なのだ
何かの事情が変わり評価が下がりキャリアを終わらせてしまう人間もいる
昨日まで肩で風を切り社内を闊歩していた人間も
事情が変わった途端、乗っていたレールの上から脱線し失脚する
サラリーマンの悲しい運命だ
30年以上耐えに耐え評価だけを拠りどころに生きてきた人間が
一日にして30年間の苦労を水の泡にしてしまうのだ
自分を評価し続けてくれた人間が失脚しても事情は同じだ
たとえ途中で失脚しなくとも運よく常務や専務まで出世したとしても
65歳間近になると「今までご苦労さん」とトップの鶴の一声で退任させられる
わずかな退職金(慰労金)をもらって
とたん翌日から暇になる、あれほど鳴り響いていた携帯電話もピタッと鳴らなくなる
誰も連絡してこなくなる、ゴルフの誘いさえピタッとなくなる
おまけにこちらからゴルフの招集をしても、現役時代あれほど目をかけてやり自分の子飼いだと思っていた部下まで、なんやかんや理由をつけては断ってくる
電話口で迷惑そうな声まで出す始末
疎外感と孤独感で胸が詰まる
振り返って私の人生はいったい何だったのかと落ち込み暗くなる
現役時代あれほど活力と責任感に満ちていた人生が
一日にしていくところもやることも何も無い孤独な老人へと急変してしまうのだ
おまけに一日中家に居れば嫁にまで疎んじられ、熟年離婚を切り出される始末
子供たちは知らん顔して寄り付きもしない
一切合切どうなってしまったのだ
今までコツコツと真面目に努力してきた人生が、退社を境に地獄へと変わってしまう
所詮会社人間など、真面目なだけが取柄で面白くもなんともない
酒を飲んでも「お前は酒に飲まれ過ぎる、酒を飲んでも人の悪口を言ってはいけない」
と上司面して説教を始め「そういうところがお前はダメで、だから出世できない」と
おれは人間が出来ているから出世出来たのだと言わんばかりに語り始める
ユーモアの欠片もない人間が出世していくのがサラリーマンだが
しかし酒を飲んで酔っ払って人の悪口を言って何が悪いのだろうか、酔っ払って多少羽目を外して言いたいことを言うから酒を飲んでいて面白いのではないのか
おまけに俺は引退の身だから割り勘で頼むと言い出す、人間がセコイ
そんな人間が大真面目に「人格」と言う言葉を口にする
「お前はどうなのだ」と言いたい
何処の会社でも、退職した、元専務と元常務それに元監査役などが連れだって、地方の温泉地へゴルフ旅行とかに行くものだ
「いや~なかなか毎日忙しいものですな~、この間は、日程が合わなくて行けずごめんなさい、あの日は久しぶりに娘が孫を連れて遊びに来たものですから」
「昨日など妻がフィットネスクラブへ行くというもので、送り迎えですよ」
「こちらこそ、この間は飲みに誘ってくれたのに行けなくてすいませんね、家内が久しぶりに家で夕飯を作るって言い出すもので」
飯もろくろく作ってもらっていないのか
哀れさを通り越してむしろ同情してしまう
悲しい男たちの末路だ
おっと、わたしは今酔っ払っているわけではないが
つい力が入ってしまいました、ご勘弁を
まあ、他人のことなどどうでもいい、自分自身が退職後そういう境遇や心境に落ちないように気を付けようと心底思う今日この頃だ
2015年09月03日
サラリーマンの虚勢
【人生は】
これで良かったのかもしれないし
もしかしたらこれでは駄目だったのかもしれない
もしかしたらこれで精一杯だったのかもしれないし
いやいやまだまだ行けたのかもしれない
もっともっとうまくやれたのかもしれないし
もうこれ以上は所詮無理だったのかもしれない
人生は分からない
誰にも分らない
自分にも分からない
もしかしたらどこかに雲隠れしてしまったかもしれないし
いやいや精一杯虚勢を張ってこの場所に立っているのかもしれない
身を隠してしまうのか
それとも我慢して顔を晒して生き続けるのか
そんな風に
いったいどんな風に
生きて行くのか
すべてはお前の生き様で
すべてはお前の人生だから
出会いがあって
お前さえ遠ざからなければ
すべてはお前の目の前に雁首並べて揃っているのだから
それだけが髄一の人生での救いかもしれない
いつまでも いつまでも
お前さえ手を離さなければ
繋がっていられるのだから
人生は
無理をして、近づいて行けば、逃げていく
意識して、忘れようとすれば、追ってくる
そして、怖くなり、逃げ出そうとすれば、覆いかぶさってくる
人生はそのようなもの
もしかしたら結果には形などないのかもしれない
勝利にも形などないのかもしれない
敗者にも理由などなくて
勝者には美酒もない
もしかしたら私たちは、形のない空間の中を
形など本当はありもしないものを追いかけて
虚しく人生を擦り減らしているだけなのか
空虚の中で無を追いかけては
右にふらふら、左にふらふらしているだけ
存在するのは
誰かに愛されているという実感だけ
あるのは
誰かに頼られ愛されているという実感だけが
髄一の真実だとしたら
心の拠りどころは
誰かに頼られ愛されているという実感だけ
当たり前のことを当たり前にやっていれば
人生は
当たり前のように当たり前に過ぎていく
そして当たり前に終わってしまう
そんなものに形などないし
結果や勝利などもない
歩きたいときには両足を交互に動かすだけ
その他のことは何一つ考える必要もないのだから
暖かな布団で眠りたいのならば
暖かな布団を買わなければならないし
布団を買うために働かなくてはならない
見晴らしのいい高台の家に住みたければ
尚更一生懸命に働かなくてはならない
誰かに頼られ愛されたいと思ったならば
どんなに苦しくとも歯を食いしばって
愛する者の手を絶対に離してはいけないのだ
その手を離したとたんに
人生はますます空虚になって
そのうちに消えてなくなってしまうから
人生には初めから形などないのだ
人生とは それだけのもの
人の弱さとは
誰かに頼りたくなってしまう弱さだから
いつかそのうち白馬の王子が現れて私をこの世界から連れ出してくれると
考えてしまう
人生に形がないように
白馬の王子など空虚そのものなのだ
人生に白馬の王子など現れずとも
自分が誰かの白馬の王子になることは出来るのかもしれない
いくら会社を大きくして巨万の富を得ようとも
いくら粉骨割いて働いて出世し引退しようとも
そんなものは狭い世界だけでの話だ
砂上の城だ、虚栄の無だ
誰かの白馬の王子になれるのか
たった一人の人間の魂を救うことが出来るのか
生きる価値はそこにあるのだから
「ああ、早く、助けに来てくれ」と
今日も誰かが叫んでいるのだから
その為にはまず虚念を捨てて両足を交互に動かさなければならない
人生は
虚であり
空であり
無だ
誰もが血眼になって
形のないものを追いかけているに過ぎないのだから
誰もがそのうち死んでしまい
骨になって土に帰る
この世に移る、この両目でみえるものすべて
形などない
あるのは魂だけ
魂だけが、人の体を借りて
動いているだけ
このお墓は素晴らしい……
http://iganosato.com/
2015年09月01日
一生懸命に生きて
ただ一生懸命に生きて
ただ今日一日精一杯に生きて
今日を失敗しなければ明日もきっと上手くいく
何も思いわずらわずに
一日一日前に進むだけ
きっとそのうち上手くいくから
心の弱さを打ち消して
いや弱ささえ意識せずに
信じた道を疑うこともせずに歩むだけ
小細工無しで
策に溺れず
まっとうに一直線に
心に筋を一本通したならば
生き方に筋を一本通したならば
その筋をなぞりながら生きるだけ
もう何も考えない
思案しない
悩みもしない
思い煩わず
心の中の曲がったものを取り除いて
心の塵を落としたならば
心の曇りをすべて消し去った
右から左と流れてく
夢なのか幻なのか
悲しみなのか苦しさなのか
涙か慟哭か
心の叫びか
心のあがきか
寂しさも消し去った
心そのものを消し去った
もうわたしには何もない
守るべきものも捨て去るべきものも
何一つ残されてはいない
それでいい
人生はすべて消し去り裸になることだから
それでいい
男とはすべて失くしてもシャキッと立っていられるものだから
いつまでもどこまでも
こうやって
ここに座ってこうやって
一心に祈り捧げるものだから
男の仕事とは祈りのようなもの
まっさらな心に線を退く
どこまでも真っ直ぐな一本の線を
ただひたすら引いていく
もういいじゃない
そんなこと
どうでもいいじゃないの
いつかの祈りも通じずに
スターダストのごとく葬るだけ
人は誰もが最後にはスターダストのごとく葬去られるだけだから
涙にぬれて、涙も枯れて
寂しいものだから
素晴らしいお墓……
http://www.iganosato.com/
2015年07月30日
黄昏の詩 3
もう誰も泣かなくていい
手を取り合って生きていければ
それだけでもう十分じゃない
胸を打つのは、一生懸命生きている姿だけだから
胸を打つのは金じゃない
あなたの真摯な姿
それだけがわたしの心をつかんで離さない
損だとか得だとかが、ちょっとでも顔をのぞかせたとたんに
ふたりの関係は冷めてしまうから
一から十まで一生懸命にやればいい
少しでも手を抜くと、ばれてしまうから
愛することは、真剣勝負でなければ続かない
ばれてしまう、誤魔化しや偽りは
今日も朝日は昇るけど
ふたりの愛は変わらない
優しさに包まれて
生きて行く
いつしか涙もこぼれ落ち
君の頬をつたうけど
いつかの夢も遥か彼方に消え去った
暖かな陽の光と、暗くて冷たい陰の部分
どうせなら暖かなお日様の光で包みたい
もう何もしないしどこへも行かない
ただ祈るだけ
オーマイゴット
「すべての人々に光をお与えください」
何も出来ずに、何も知らずに生きてきた
昨日はなんと無知だったのか
今日は少し学んだかもしれなくて
明日は少し偉くなる
オーマイゴット
「すべての人々に知恵と勇気をお与えください」
何も知らずに死んでいく
何も出来ずに死んでいく
隣の友とだけ仲良くやって
その隣の友とは知らん顔
それでいいのかわからない
誰だって幸せな気持ちにしてくれる
そんな人間が好きなのさ
その人が何を望んでいるのか
理解することだ
そうすればきっと愛してもらえる
2015年07月28日
黄昏の詩 2
≪優しさに包まれた夜≫
優しさに包まれた夜も一夜限り
心から満たされた夜もそう幾度も続きはしなかった
すぐに苦しく辛い日々が始まった
そしてまた遠く先の夜にきっとまた満たされるのかもしれない
その日を夢見て生きていくしかないのだろう
どんなに愛した夜もまたいつの日か必ず
すれ違いの夜が来る
人生は切ない涙の繰り返し
冒険するのを怖がって
いつもビクビク生きるのか
それとも太く短く生きたいと
大きく咲いてパッと散ってしまうのか
切ない心は酒で流してしまうのが一番いい
寂しい夜は悲しい歌でも聞いて忘れてしまうのが一番いい
2015年07月13日
黄昏の詩1
優しさに包まれた
昨日のこと
限りなく暖かな愛に抱きしめられた
ギュッと強く
もっと近くで囁いて欲しいから
幸せだったのかもしれない
今よりもずっと
気づかずにこんなに近くにあった愛にさえ
通り過ぎてった
秋に吹く風のように
もう取り戻せないほど
遠くの空まで離れてしまった君だけど
心は一つに繋がっていると
間違っていたのは俺の方
いくら謝っても
海の向こうでむなしく響くだけだから
何を望んでいるのか
生きていればいつか何かにぶち当たる
心でブレーキをかけてしまう
前に進もうとする足を止めてしまうから
何を望んでいるのか
これ以上のもの
そんなものあるのか
今のままの自分をただ守ろうとしているだけなのか
それとも怖がる自分にムチ打って
もっともっと前に踏み出そうとしているのか
明日は少し違う色をしている
きっと明日はもう少し赤く染まって
きれいな世界を見せてくれるはず
それとも少しつまずいて薄暗く
どんより曇ってしまうのか
お前は今日からいったい誰の声に耳を傾けるつもりなの
どんな顔してどんな声を出してどんな言葉を伝えていくの
ただ自分の心の声だけに耳を澄まして
一生懸命聞こうとしているだけだから
その他の忠告してくれる声はみな雑音だから
耳を塞いで
孤独な心に打ち勝って
ちょっとでも違う世界を見て見たいから
何のために生きるのか
今よりも少し前に進むために生きる
今の幸せを維持するために生きる
今日が終われば明日が来るからただ生きる
死ぬのが怖いから生きる
生きているから仕方なく生きる
生きているだけでもうけものだから生きる
いつかは死ぬのだから今は生きる
どうせ生きるのだったら生きたいように生きる
生きているからやれることがあるからそれをやるため生きる
自分の生き方は自分で決める
自分の人生は自分で決める
誰にも邪魔をされたくないから一生懸命生きる
愛する人が近くにいるから生きる